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知立公園花しょうぶ園
知立公園の花しょうぶは、昭和31年・同32年・同35年の3回にわたって明治神宮から下賜されたもので、明治天皇並びに昭憲皇太后御遺愛の品種が植えられ…
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知立市歴史民俗資料館
東海道五十三次の池鯉鮒宿の宿屋の復元模型・西中遺跡群の出土品など、知立の歴史と文化を知る貴重な資料を展示しています。
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知立松並木
旧東海道沿いにあり約500mに渡ります。並木は旅人にとっては夏は日差しを遮り、冬は防風防寒の役目を果たしたと考えられ、街道の象徴でした。その姿…
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無量壽寺
室町時代の延文5年(1360年)臨済の僧恵玄が中興し、江戸時代の宝永8年(1711年)にいたり、同宗妙心寺派になりました。 文化9年(1812年)方巌…
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八橋かきつばた園
県の花、市の花であるかきつばた。八橋のかきつばたは、平安の歌人“在原業平”が、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる た…
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知立神社
三河国の二の宮で「池鯉鮒大名神」と称されています。創祀は社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊は天皇の命を受けて東国平定の祈り、当地において…
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遍照院
弘仁年間(810年~)に弘法大師が東国へ御巡錫の途中、当地へ約1ヶ月間の間逗留になり、弘法山を建立され、別れを惜しむ里人に、赤目樫にて過去…
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宝篋印塔(杜若姫供養塔)
在原業平を恋い慕っていた杜若姫は、業平の東下りの際、はるばる都よりその跡を追い八橋までたどり着きましたが、業平はすでに八橋を発ったあとでし…
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芭蕉句碑
石碑に刻まれた「不断たつ池鯉鮒の宿の木綿市」は、芭蕉が詠んだ句です。かつて池鯉鮒宿で木綿市が開かれ、賑わっていたことを表しています。
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知立市観光交流センター
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小松寺
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長照寺
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総持寺
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了運寺
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称念寺
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古城塚(さむらい塚)
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西教寺
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丸山古墳
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内藤魯一銅像
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荒新切遺跡
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浄教寺
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在原寺
寛平年間(889~897)に業平の菩提を弔うための業平塚が築かれた折、その塚を守る人の御堂として創建されたと伝えられています。
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根上りの松
根が2メートルほど持ち上がっていることから名付けられ、鎌倉街道の傍らに往時の賑わいを偲ぶように立っています。松の根元に「鎌倉街道之跡」の碑が…
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郷倉
江戸時代に凶作、飢餓等の備えのために穀物の貯蔵庫として村ごとに造られた倉です。明治時代に入ると大半が取り壊されましたが、市内唯一残された倉…
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赤目樫元弘法
遍照院は元々上重原家下の地にあったといわれており、延宝年中(1673~81)の間に現在の地に移ったと伝えられ、跡地は赤目樫元弘法として残されてい…
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重原古城跡
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知立古城跡
知立神社の神官永見氏が城主を兼ねていたとその家譜にあります。桶狭間合戦後に織田軍により落城、のち刈谷城主水野忠重が御屋形を建て、将軍の上洛…
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八橋古城跡(葦香城址)
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池鯉鮒宿問屋場跡
問屋場は、宿駅の業務全般を取り仕切るところで、主に公共旅行者のための馬と人足を用意し、次の宿まで運搬する人馬の継立と、幕府の公用文書を運ぶ…
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池鯉鮒宿本陣跡
本陣とは、大名や公家が休泊する施設です。池鯉鮒宿にも本陣が置かれていましたが、明治8年に取り壊されました。現在はかつて位置した場所に石碑が…
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